月光の下で穢れた聖女と、静かに背を向けた戦士~遅すぎた後悔と壊れた英雄たち~

第10話 サイドストーリー:光の神の断罪と、無限の責め苦

圧倒的な質量が、俺の頭上から降り注いだ。
耳をつんざくような轟音と共に、硬い骨が粉々に砕け散る不気味な音が、自分自身の体内から響き渡った。
何が起きたのか、一瞬理解できなかった。
光の勇者であるこの俺が、魔王軍の四天王ごときを前にして、己の放った一撃を易々と躱され、逆に巨大な爪の直撃を受けたのだ。
脳髄が沸騰するような激痛。下半身は完全に押し潰され、感覚すらない。喉の奥からせり上がってきたのは、大量の熱い血の塊だった。

「クレ……イ、トス……た、すけ……」

無意識のうちに、俺の口はその名前を呼んでいた。
これまでどんな絶体絶命の危機に陥ろうとも、必ず俺の前に立ちはだかり、その巨大なタワーシールドで全ての理不尽な暴力を弾き返してくれた、あの不器用な戦士の名前を。
だが、その背中が俺の視界に現れることはなかった。当たり前だ。俺自身が彼を裏切り、嘲笑い、追い出したのだから。
視界が急速に暗転していく。黒竜将の冷酷な瞳が俺を見下ろしているのを感じながら、俺の意識は絶対的な暗闇へと落ちていった。

どれほどの時間が経ったのだろうか。
ふと気づくと、俺は真っ白な空間に立っていた。
痛みはない。下半身も元通りになっている。銀色の甲冑には血の汚れ一つなく、腰には愛用の聖剣が差されていた。

「ここは……天界か?」

周囲を見渡し、俺はホッと息を吐いた。
そうだ、俺は死んだのだ。だが、俺は光の神の加護を受けた勇者であり、世界を救うために戦って命を落とした英雄だ。ならば、ここは神の御前であり、俺は栄誉ある魂として天界へ迎え入れられたに違いない。
もしかすると、神は俺の不屈の闘志を認め、より強大な力を与えて再び地上へ蘇らせてくれるかもしれない。そうだ、そうに違いない。クレイトスという足手まといがいなくなった俺には、それに見合う強大な神の力がふさわしい。

「光の神よ! 勇者レオンハルト、ここに推参いたしました!」

俺は胸を張り、誰もいない真っ白な空間に向かって高らかに声を張り上げた。

「無念にも魔王軍の凶刃に倒れはしましたが、俺の心はまだ折れておりません! どうかこの俺に、魔王を討ち滅ぼすための新たな力と、二度目の命をお与えください! この俺こそが、世界を救う真の救世主たる器なのです!」

俺の誇り高い宣言が空間に響き渡った直後。
真っ白だった空間が、突如として眩いほどの黄金の光に包まれた。
光の中心から、天を突くほど巨大で、神々しい人型のシルエットが姿を現す。絶対的な威厳と、万物をひれ伏させるほどの圧倒的な存在感。間違いなく、俺に加護を与えた光の神そのものだった。

『レオンハルトよ』

声は直接、脳内に響いてきた。それは慈愛に満ちた声などではなく、氷のように冷たく、そしてどこか、抑えきれない怒りを孕んでいるように聞こえた。

『己がどこに立っているのか、まだ理解していないようだな』
「神よ……? いえ、俺は理解しております。俺は勇者として過酷な使命を全うし……」
『黙れ』

たった一言。その短い拒絶の言葉と共に、俺の全身を不可視の激痛が貫いた。

「ぐあああっ!?」

見えない巨大な手で全身の骨を握り潰されるような激痛に、俺はたまらずその場に膝をついた。天界に迎え入れられた英雄が受けるべき扱いではない。俺は脂汗を流しながら、必死に顔を上げた。

「な、なぜです、神よ! 俺はあなたに選ばれ、あなたのために戦ってきたというのに!」
『選んだのは確かに私だ。だが、お前は使命を全うなどしていない。己の歪んだ自己愛と肥大化したプライドのために、仲間を裏切り、最も重要な盾を捨て、自滅しただけの愚か者だ』

神の冷酷な言葉が、俺の胸に突き刺さる。

『お前が死んだ後、地上の世界がどうなったかを知るが良い』

神が腕を振るうと、白い空間に巨大な光の窓が開き、地上の光景が映し出された。
そこにあったのは、炎に包まれ、崩壊していく王都グランセルの姿だった。俺を称賛していた国王や貴族たちが、魔王軍の幹部や魔物たちによって無惨に引き裂かれ、血の海で泣き叫んでいる。街のあちこちで罪のない人々が蹂躙され、世界は完全に魔王軍の闇に飲み込まれようとしていた。

「な……グランセルが、陥落した……?」
『そうだ。お前が死んだことで、人間側の抑止力は完全に消滅した。魔王軍は東の大陸を制圧し、今この瞬間も無数の命が奪われ続けている。世界を救うどころか、世界を最悪の破滅へ導いた大罪人。それが、お前という男の真の姿だ』

突きつけられた現実に、俺は激しく首を横に振った。

「ち、違います! 俺のせいじゃない! 俺は必死に戦っていた! プレッシャーに押し潰されそうになりながら、それでもリーダーとして世界を背負おうとしていたんです! 誰も俺の孤独を理解してくれなかった! だから、あんな……フィーリアを慰めに使うようなことをしてしまっただけで……!」
『孤独だと? プレッシャーだと?』

神の声が、雷鳴のように轟いた。
その瞬間、俺は息をすることすらできず、地面に縫い付けられたように平伏させられた。神の絶対的な怒りが、空間そのものを震わせているのだ。

『己の弱さを正当化するな、レオンハルト。お前が感じていたプレッシャーなど、真の勇者が背負うべき重圧の半分にも満たないものだった。なぜなら、お前の受けるべき恐怖や負担の大部分は、あの盾役の戦士、クレイトスが全て肩代わりしていたからだ』

クレイトス。その名前が出た瞬間、俺の心に猛烈な苛立ちと拒絶反応が走った。

「あの男が何をしたと言うんですか! あいつはただ、俺の前に立って敵の攻撃を防いでいただけだ! 魔物を倒し、道を切り開いてきたのは俺の聖剣の力です! あいつは俺の引き立て役でしかない!」
『お前は本当に、何も見ていなかったのだな』

神は呆れたように、そして軽蔑を込めて告げた。

『どんな凶悪な魔獣の爪も、どんな強力な魔法の直撃も、彼が一歩も引かずに受け止めていた。彼が骨を軋ませ、血を吐きながらも、決してお前たちに敵を近づけなかったからこそ、お前は背後や側面を一切気にすることなく、ただ目の前の敵を斬ることに専念できていたのだ。お前が勇者として振る舞えていたのは、彼が無償の愛と忠誠心で、お前たちを完璧に守り抜いていたからに他ならない』

「そんな……馬鹿な……」
『だがお前は、彼のその献身に気づくどころか、彼を見下し、彼の愛する女を脅し取った。彼が命を懸けて守ろうとしていたものを、お前は泥で汚し、あまつさえ彼の命を交渉の道具に使った。その結果がどうだ。彼に見捨てられたお前は、ただの四天王の一角にすら手も足も出ず、無様に潰されて死んだではないか』

神の言葉は、俺の残っていたプライドを粉々に打ち砕いていった。
俺の力などではなかった。俺が「強い勇者」であったのは、クレイトスという完璧な防壁が俺を守っていたから。彼がいなくなった途端、俺は自分の身を守る術すら知らない、ただの脆い案山子に過ぎなかったのだ。

「ああ……あああ……」
『自らの傲慢で最強の盾を割り、自らの手で世界を滅ぼした愚か者。光の神である私が、お前のその醜悪な魂を天界へ迎え入れることなど、万に一つもあり得ない』

黄金の光が、次第に赤黒い禍々しい色へと変色していく。
神のシルエットが、裁きを下す処刑人のように冷たく見下ろしてきた。

「ま、待ってください! わかりました、俺が愚かでした! 反省します、悔い改めます! だから、地獄へ落とすのだけは……!」
『地獄? 否。お前が落ちるのは、ただの地獄ではない。お前自身の罪が作り出した、永遠の戦場だ』

神の無慈悲な宣告と共に、俺の足元の空間が突如としてポッカリと口を開けた。

「やめろおおおおおおおっ!!」

俺の悲鳴は虚しく響き、体は底なしの奈落へと真っ逆さまに落ちていった。
風を切る音と共に、周囲の景色が急速に赤黒い闇へと変わっていく。
やがて、俺の体は硬く、ぬかるんだ地面に激突した。

「ぐふっ……!」

全身の骨が痛みを訴えるが、死ぬことはない。
立ち上がり、周囲を見回した俺は、絶望に目を見開いた。
ここは、血と肉片と泥で構成された、果てしなく広がる荒野だった。空は血のように赤く、太陽の代わりに巨大な目がこちらを見下ろしている。
そして、地平線の彼方から、地鳴りのような足音を立てて無数の影が迫ってきていた。
オーク、オーガ、ワーウルフ、ゴブリン、そして黒竜将ガルヴァドス。
これまでの旅で俺たちが倒してきた、あるいは俺を殺した魔物たちの群れが、一斉に俺に向かって突撃してきているのだ。

「くそっ! やってやる、俺は勇者だ!」

俺は腰の聖剣を引き抜こうとした。
だが、腰にあるはずの剣は、いつの間にか消え失せていた。
俺は丸腰だった。武器もなければ、防具もない。ただの薄汚れた布切れ一枚を纏っただけの、無力な存在に成り下がっていた。

「な、なぜだ! 剣が、俺の力が……!」
『それが、お前の本来の姿だ』

天空から、神の冷酷な声が響き渡った。

『お前はこれから、この永遠の戦場で、無限の魔物たちに蹂躙され続ける。お前がクレイトスに頼り切り、彼に押し付けていた「暴力」と「苦痛」の全てを、今度は盾を持たないお前自身が、永遠に受け続けるのだ』

魔物の群れが、すぐ目の前まで迫っていた。
先頭を走る巨大なオーガが、丸太のような棍棒を振り上げる。
かつてなら、クレイトスが前に出て、その重厚なタワーシールドで受け止めてくれていた光景。
だが今、俺の前に立ってくれる者は誰もいない。
俺は逃げようとしたが、恐怖で足がすくみ、一歩も動くことができなかった。

「や、やめろ……クレイトス! クレイトス、助けてくれ!! 俺の前で盾を構えてくれ!!」

俺は涙と鼻水を流しながら、かつて見下していた男の名前を叫んだ。
だが、棍棒は容赦なく振り下ろされ、俺の頭蓋骨を粉々に粉砕した。

「ギィヤアアアアアアアアアアッ!!」

眼球が破裂し、脳漿が飛び散る。
意識が途切れる直前の、絶対的な死の苦痛。
だが、地獄はそこでは終わらなかった。
死の暗闇が訪れた次の瞬間、俺は再び同じ場所に立っていた。体は完全に元通りに再生しており、そして、再び魔物の群れが俺を包囲している。

今度はワーウルフの群れが飛びかかってきた。
鋭い爪が俺の腹を裂き、生きたまま腸を引きずり出される。
痛い。痛い。助けてくれ。許してくれ。
俺は血反吐を吐きながら泣き叫び、地面を這いずり回った。

『死ぬことすら許されぬ。お前の魂が完全に狂い、消滅するその日まで、永遠に己の罪の痛みと恐怖を味わい続けるが良い』

神の宣告が、絶望の鐘のように鳴り響く。

ワーウルフに食い殺され、再生した直後、今度は黒竜将の巨大な爪に押し潰される。
死んで、生き返り、また死んで、生き返る。
剣も魔法も、そしてあの重厚な盾もない世界で、俺はただの肉の塊として魔物たちに惨殺され続けるのだ。

「クレイトス……クレイトスゥゥゥッ!! 許してくれ、俺が間違っていた! だから助けてくれぇぇぇっ!!」

俺の絶叫が、血に染まった荒野に空しく響き渡る。
自分がどれほど愚かで、どれほど彼に守られていたか。それを骨の髄まで理解させられながら、俺は永遠に終わることのない殺戮のループに囚われ続ける。

神の怒りに触れた傲慢な勇者の末路。
世界を滅ぼした罪の代償として、俺の魂は、終わりの見えない永劫の責め苦の中で、永遠に、永遠に悲鳴を上げ続けるのだった。