君の記憶を「最低」に上書き保存 〜浮気した彼女と間男を、脳内に刻まれた思い出ごとハックして絶望の底に叩き落とす〜

第3話 プライドのデリート、エリートのシステムクラッシュ

復讐のアルゴリズムは完成した。あとは、ターゲットを盤上に誘い込み、実行するだけだ。最初の駒として選んだのは、もちろん皇玲央。俺の幸福な記憶を汚した、全ての元凶。彼の傲慢なプライドを、木っ端微塵に粉砕することから、俺の復讐は始まる。

数日間にわたる準備の末、俺は玲央の会社のメールアドレス宛に、一通のメールを送信した。差出人は「株式会社フューチャー・ブレイン・ダイナミクス、代表取締役、夜凪奏」。俺がこの計画のためにペーパーカンパニーとして登記した、偽の会社だ。

メールの内容は、彼の自尊心を最大限にくすぐるように、慎重に言葉を選んで作成した。

『拝啓 皇玲央様 貴殿の輝かしいご経歴と、業界におけるご活躍の数々、かねてより拝聴しております。つきましては、弊社が新たに立ち上げますエグゼクティブ向けVR能力開発プログラム『プロジェクト・プロミネンス』の最高監修者として、ぜひともお力をお借りしたく、ご連絡差し上げました』

内容は、玲央の成功体験をVR空間で再現し、その思考プロセスをAIで解析・モデル化することで、他のビジネスマンの能力向上に繋げる、というものだ。もちろん、全ては彼を俺の事務所に誘い込むための、手の込んだ嘘っぱちだ。エリート意識の塊である彼が、「自分の成功体験が他者の模範となる」という甘言に食いつかないはずがない。

案の定、メールを送信してから一時間も経たないうちに、玲央本人から返信があった。『非常に興味深いお話です。ぜひ一度、詳細を伺わせていただきたい』。その文面からは、隠しきれない高揚感が滲み出ていた。俺はすぐさま返信し、数日後の午後、俺の事務所で打ち合わせを行う約束を取り付けた。釣り針にかかった魚は、実に間抜けな顔をしていることだろう。

そして、運命の日がやってきた。

約束の時間きっかりに、事務所のインターホンが鳴った。モニターに映し出されたのは、高級ブランドのスーツを隙なく着こなした、皇玲央その人だった。俺は平静を装い、ドアを開ける。

「ようこそお越しくださいました。フューチャー・ブレイン・ダイナミクスの夜凪です」
「皇です。本日はよろしくお願いします」

玲央は、値踏みするような視線で俺と、そして事務所の中を見回した。個人事務所としては広すぎるが、企業オフィスとしては手狭なこの空間を、訝しんでいるのかもしれない。だが、彼の視線が部屋の奥に設置された、最新鋭のフルダイブ型VR装置を捉えた瞬間、その表情がわずかに変わった。

「これは……すごい設備ですね。最新モデルですか?」
「ええ。このプログラムのために、海外から特別に取り寄せたものです。さ、どうぞこちらへ」

俺は玲央をソファに促し、用意していた偽の企画書を広げながら、滔々とプレゼンを始めた。AIによる脳波解析、ニューラルネットワークを用いた思考パターンのモデル化、記憶の定着率を高めるための超音波フィードバック。俺が持つ知識を総動員して構築した、もっともらしい嘘の理論。玲央は、次第に前のめりになり、俺の話に聞き入っている。

「なるほど……素晴らしい。つまり、僕の成功体験そのものが、一つの『製品』になるということですね」
「その通りです。そして、そのプロトタイプとして、我々が最も注目しているのが、貴殿が大学時代に行った、あの『伝説のプレゼンテーション』です」

俺がその言葉を口にした瞬間、玲央の目が誇らしげに輝いた。やはり、そこが彼の最大の急所だった。

「お詳しいですね。ええ、あれは我ながら会心の出来でした」
「ぜひ、その輝かしい記憶を、我々のシステムで体験・解析させていただけないでしょうか。もちろん、最高額のコンサルティング料をお支払いします」

金と名誉。玲央が抗えない二つの餌を目の前にぶら下げる。彼はもはや、疑うことなど微塵も考えていないようだった。

「分かりました。やりましょう。僕の能力が、世の中の役に立つのであれば光栄です」

満面の笑みで頷く玲央を見て、俺は心の奥底で冷たく笑った。さあ、ショータイムの始まりだ。

「では早速ですが、こちらの装置に。これはあなたの脳内にある成功体験の構造を分析し、再現性を高めるための最新システムです」

俺はそう説明し、玲央をフルダイブ型VR装置のシートに座らせる。彼は、己の能力がさらに強化されるという甘言に完全に酔いしれ、何の疑いもなくヘッドセットと各種センサーを装着した。その姿は、自ら電気椅子に座る囚人のように見えた。

「リラックスしてください。意識は、最も輝かしいあの日の記憶へと移行します」

俺はそう囁きかけ、起動スイッチを押した。玲央の身体がシートに深く沈み込み、やがて完全に意識を失う。彼の精神は今、VR空間へとダイブし、俺が用意した偽りの舞台へと送り込まれた。

ここからが悪夢の始まりだ。

俺は自身のコンソールを操作し、能力開発プログラムなどではない、玲央の記憶データを破壊するためだけに作られた『汚染プログラム・ケルベロス』を起動した。

玲央の視界には、懐かしい大学の大講義室が広がっているはずだ。満員の聴衆。期待に満ちた視線。そして、演台に立つ、自信に満ち溢れた若き日の自分。全てが、彼の輝かしい記憶通りに再現されている。彼は今、最高の高揚感に包まれていることだろう。

プレゼンが始まる。彼の記憶通り、流暢な言葉が口をついて出る。完璧な滑り出し。しかし、プログラムはここから、彼の記憶に巧みなノイズを混入させ始める。

まず、聴衆の反応を微妙に変化させる。称賛の眼差しが、少しずつ訝しげなものに変わっていく。最前列に座っていたはずの尊敬する教授が、腕を組んで眉をひそめる。彼の記憶にはない、些細だが確かな違和感。

「……あれ?」

VR空間の中で、玲央はわずかな動揺を覚える。だが、プレゼンは止められない。彼は話を続けようとするが、次の瞬間、自分の口から出た言葉が、用意していたものとは全く違う、支離滅裂な内容に変わっていることに気づく。

「……故に、この市場における我々の優位性は、その、なんだ……言うなれば、銀河系の彼方にあるアンドロメダ星雲のようなものであり……」

何を言っているんだ、俺は。玲央の意識が混乱し始める。すると、それまで静かだった聴衆の中から、クスクスという笑い声が聞こえ始めた。最初は小さかったその声は、次第に大きくなり、やがて講義室全体を包む嘲笑の渦へと変わっていく。

「おい、あいつ何を言ってるんだ?」
「めちゃくちゃじゃないか」
「準備不足も甚だしいな」

そんな幻聴が、彼の脳に直接響き渡る。VR装置に組み込まれた超音波トランスデューサーが、彼の聴覚野を直接刺激し、ありもしない声を現実であるかのように誤認させているのだ。

パニックに陥った玲央が助けを求めるように教授の方を見ると、その教授がすっくと立ち上がり、彼を指差して叫んだ。

「皇くん! 君のその理論、先週発表された海外の論文の盗用じゃないか! 見損なったぞ!」

盗用。その言葉が、玲央のプライドに突き刺さる。そんなはずはない。これは俺が、俺だけの力で作り上げた理論だ。しかし、彼の脳は、プログラムによって次々と偽りの証拠を提示される。自分の研究ノートに、海外論文を丸写ししたメモが挟まっている幻覚。スクリーンに映し出されたグラフが、盗用元とされる論文のグラフと完全に一致する映像。

「ち、違う……これは罠だ! 俺はやってない!」

玲央はVR空間の中で絶叫する。しかし、彼の叫びは、さらに大きくなる嘲笑にかき消されるだけだ。称賛されるはずだった拍手は、侮蔑に満ちた罵声へと変わり、彼を追い詰めていく。「盗作野郎!」「エリート気取りが!」「お山の大将!」。

輝かしい成功体験は、リアルタイムで惨めで恥ずかしいトラウマ記憶へと、暴力的に上書きされていく。彼の精神が、この矛盾と屈辱の奔流に耐えられるはずもなかった。

「やめろ……やめてくれ……! これは俺の記憶じゃない! 俺じゃないんだあああああっ!」

絶叫と共に、玲央の脳波が危険なレベルまで乱れる。俺は冷静にプログラムを緊急停止させ、VR装置の電源を落とした。

ヘッドセットを外すと、そこには抜け殻のようになった皇玲央がいた。焦点の合わない目で虚空を見つめ、口からは意味をなさないうめき声が漏れている。完全に精神が崩壊していた。

俺は彼のスーツのポケットからスマートフォンを取り出し、タクシーを呼んだ。そして、錯乱状態のままの玲央を半ば引きずるようにしてタクシーの後部座席に押し込むと、運転手に彼の自宅マンションの住所を告げた。

「お客様、ひどく酔ってらっしゃるようですが……」
「ええ、少し飲み過ぎたみたいで。あとはよろしくお願いします」

何食わぬ顔でそう告げ、俺は走り去るタクシーを冷たい目で見送った。これで、皇玲央は終わった。彼のアイデンティティの核であった自信というOSは完全にクラッシュし、二度と再起不能だろう。

俺の予想は、数日後に現実のものとなった。

業界の噂として、俺の耳に情報が入ってきた。皇玲央が、数百人が集まる重要なクライアント向けのプレゼンテーションの場で、突然「俺は盗作なんてしていない!」と叫び出し、パニック発作を起こして失神したらしい。彼は即日プロジェクトから外され、現在は休職扱い。事実上のキャリアの終焉だった。

その噂は、すぐに栞の耳にも届いた。ある日の夜、帰宅した栞は、明らかに動揺した様子で俺に話しかけてきた。

「ねえ、奏……聞いた? 皇さんのこと」
「皇さん? ああ、栞のクライアントの?」

俺は、何も知らないふりをして聞き返す。

「うん……なんか、大事なプレゼンで急に倒れちゃったんだって。精神的に、かなり参ってるみたいで……」

栞の顔には、同情よりも、輝かしい王子様が失脚したことへの失望と、自分との関係がバレるのではないかという恐怖が色濃く浮かんでいた。都合のいい女だ。男が落ち目になった途端、手のひらを返すのか。

その日から、栞はあからさまに俺に甘えるようになった。玲央という刺激的な存在を失い、改めて俺の揺るぎない優しさに安らぎを求め始めたのだろう。週末には「奏のビーフシチューが食べたいな」とおねだりし、夜はぴったりと俺に寄り添って眠る。

「やっぱり、私には奏しかいないよ。ずっとそばにいてね」

そう言って俺の胸に顔をうずめる栞を、俺は優しく抱きしめた。その頭を撫でながら、俺の心は絶対零度のままだ。

「ああ、もちろんだ。ずっと一緒だ」

違う。お前が安らげる場所は、もうどこにもない。

俺は、完璧な恋人を演じながら、心の中で冷たく、そして愉悦に満ちた声で呟いた。

「さあ、フィナーレだ、栞。君の番だよ」

復讐の第二幕の準備は、すでに整っている。

週末、俺は最高の笑顔で栞に提案した。

「栞。久しぶりに、二人の思い出の場所に行かないか? ほら、君がグランプリを獲った、あのコンペの」

栞は、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。

「うん、行く! 懐かしいな。行きたい!」

彼女は知らない。その思い出の場所が、彼女の精神を破壊する最後の処刑場になることを。最後の仕上げが、もうすぐ始まろうとしていた。俺は、彼女を絶望の淵へと突き落とすための、最後のトリガーをポケットに忍ばせ、彼女と共に思い出の大学キャンパスへと向かうのだった。