第3話 勝利の祝宴と最後の告白〜さあ聖女様、これからは二人で永遠の愛を誓おう〜
魔王の断末魔が、禍々しい城の玉座の間に木霊した。
俺が渾身の力を込めて突き立てた聖剣が、奴の心臓を貫き、その巨体は黒い粒子となって霧散していく。長く、そして熾烈を極めた戦いは、ついに俺の勝利で幕を閉じた。
「やっ……た……!」
全身を襲う激痛と疲労に耐えながら、俺は膝をつき、勝利の雄叫びを上げた。やった、俺が、俺がやったんだ!
振り返ると、ゼニスとセレスティナが、同じように満身創痍で肩で息をしている。そして、少し離れた場所で、リリアンヌが静かにこちらを見ていた。彼女の周囲だけ、戦いの痕跡など微塵も感じさせない清浄な空気が流れているように見えた。
そうだ、俺がここまで戦えたのは、彼女がいてくれたからだ。何度も致命傷を負い、意識が飛びかけた。そのたびに、彼女の祈りと癒しの光が俺を現世に引き戻し、再び立ち上がる力を与えてくれた。これは、俺一人の勝利じゃない。俺とリリアンヌちゃん、二人の愛がもたらした奇跡なんだ!
「リリアンヌちゃん!」
俺はよろめきながら彼女のもとへ駆け寄り、その華奢な肩を掴んだ。
「見たか!? 俺、やったよ! 約束通り、魔王を倒した!」
「……はい。お見事でした、勇者様。本当にお疲れ様でした」
リリアンヌはいつものように、穏やかで感情の読めない微笑みを浮かべている。だが、その瞳の奥に、ほんの少しだけ安堵の色が浮かんだように見えた。きっと、俺の身を案じてくれていたんだ。ああ、愛おしい。今すぐこの場で彼女を抱きしめたい衝動に駆られたが、ぐっとこらえた。最高の舞台は、これから用意されるのだから。
王都への凱旋は、まさに圧巻の一言だった。
魔王討伐の報は瞬く間に世界中を駆け巡り、俺たちが王都に到着した日には、城へと続く大通りが民衆で埋め尽くされていた。「勇者様!」「ありがとう!」「救世主!」という熱狂的な歓声と、空を舞う色とりどりの花びら。俺は満面の笑みでそれに手を振って応えながら、人生の絶頂を味わっていた。
元の世界では、誰からも注目されることのなかった俺が、今や何十万という人々の英雄なのだ。これ以上の快感が、この世にあるだろうか。
ちらりと隣を歩くリリアンヌを見ると、彼女は民衆の熱狂を浴びながらも、やはりどこか超然とした様子で、静かに微笑んでいるだけだった。その姿がまた、俺の独占欲を掻き立てた。この女神のような聖女が、もうすぐ俺だけのものになる。その事実が、凱旋パレードの興奮をさらに増幅させた。
王城に戻った俺たちは、国王アルフォンス三世から最大級の賛辞を受けた。
そして、その夜に催される祝宴の前に、俺は国王と、神殿から駆けつけた大司祭に、二人きりで謁見の間へと呼び出された。いよいよ、約束の時が来たのだ。俺は期待に胸を膨らませながら、彼らの前に立った。
「勇者テル殿。此度の魔王討伐、まこと見事であった。言葉では言い尽くせぬほどの感謝を、王国を、いや、世界を代表して伝えたい」
国王が、深々と頭を下げた。続いて、白く長い髭をたくわえた大司祭も、厳かに口を開く。
「神もまた、勇者殿の偉業を祝福しておられるでしょう。貴殿の働きにより、この世界は再び光を取り戻しました」
最高の褒め言葉だ。だが、俺が聞きたいのはそれじゃない。俺は逸る気持ちを抑え、神妙な顔つきで彼らの言葉を待った。
「して、勇者殿。貴殿への褒賞だが……貴殿が望むものは、全て与えるつもりだ。金銀財宝、望むだけの領地、あるいは貴族の位でもよい。何なりと申してみよ」
国王の言葉に、俺は待ってましたとばかりに口を開いた。
「恐れながら、国王陛下、大司祭様。俺が望むものは、ただ一つ。旅立つ前から、手紙でもお伝えしてきた通りです」
俺は真剣な眼差しで、二人をまっすぐに見つめた。
「俺は、聖女リリアンヌ様を、生涯の伴侶としてお迎えしたい。どうか、お許しをいただきたく存じます」
俺の言葉に、国王と大司祭は一瞬顔を見合わせた。その表情には、どこか困惑と諦めが混じったような、複雑な色が浮かんでいるように見えた。だが、すぐに国王は一つ咳払いをすると、覚悟を決めたような顔で頷いた。
「……うむ。承知した。貴殿は世界を救った英雄だ。その最大の功労者たっての願いを、無碍にはできん。それに、聖女様にとっても、貴殿のような方と結ばれることは、きっと誉れなことだろう」
「聖女様も……きっと、お喜びになられるはずです」
大司祭も、どこか歯切れ悪くそう付け加えた。
よし!
俺は心の中でガッツポーズをした。外堀は、完全に埋まった。国のトップと、神殿のトップ、両方からお墨付きをもらったのだ。もう、何一つ障害はない。
俺は二人への感謝を述べると、意気揚々と謁見の間を後にした。今夜の祝宴が、俺たちの新たな門出を祝う宴になるのだ。
祝宴は、王城の大広間で盛大に催された。豪華な食事が並び、陽気な音楽が奏でられ、貴族や騎士たちが俺を称える言葉を口々に述べる。俺は英雄として、その中心で笑顔を振りまいていたが、意識はずっとリリアンヌに注がれていた。
彼女は、少し離れた席で、他の神官たちと静かに談笑していた。その姿は、喧騒の中にあって、まるで一枚の絵画のように美しく、静謐だった。
タイミングを見計らい、俺は彼女の元へと歩み寄った。
「リリアンヌちゃん、少しだけ、二人で話せないかな。大事な話があるんだ」
俺の言葉に、彼女は少しだけ逡巡するそぶりを見せたが、やがて静かに頷いた。周囲の貴族たちが、色めき立つのが分かった。俺は優越感に浸りながら、彼女を伴って、月明かりが差し込むバルコニーへと向かった。
ひんやりとした夜気が、祝宴の熱気を帯びた肌に心地よい。眼下には、王都の美しい夜景が広がっている。最高のシチュエーションだ。
「リリアンヌちゃん。俺たちの長い旅は、今日で終わった。でも、俺は、俺たちの物語はここから始まるんだと思ってる」
俺は彼女に向き直り、その白い手を取った。彼女は、今度もそれを振り払わなかった。
「初めて会った日から、ずっと君のことだけを見てきた。君がいたから、俺はここまで来れたんだ。君を守りたい、君の笑顔が見たい。その一心で、俺は魔王と戦った」
俺は、ありったけの想いを言葉に乗せる。
「俺は、国王陛下と大司祭様からも、許しをいただいた。だから、もう一度だけ言わせてほしい。リリアンヌちゃん、俺と、結婚してください」
そう言って、俺は彼女の手の甲に、そっと口づけをした。完璧なプロポーズ。どんな女だって、これには落ちるはずだ。
彼女はどんな顔で喜んでくれるだろう。頬を染めるだろうか。それとも、嬉し泣きをしてくれるだろうか。期待に胸を膨らませ、俺は彼女の顔を見上げた。
しかし、そこに俺が期待した表情はなかった。
リリアンヌは、一切の感情を映さない、まるで能面のような顔で俺を見下ろしていた。そして、その桜色の唇が、静かに、しかしはっきりと、残酷な言葉を紡いだ。
「お断りします」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
空気が凍りつく。バルコニーの外の喧騒が、急に遠くなった。
「……え? い、今、なんて……?」
「お断りします、と申し上げました。あなたと結婚する気は、毛頭ありません」
淡々とした、あまりにも平坦な声。そこには、照れも、謙遜も、冗談の色も、何一つ含まれていなかった。ただ、純粋な、絶対的な「拒絶」だけがあった。
「な……なんで……? 冗談だろ? だって、君も、俺のこと……」
「あなたのことを、どう思っていると?」
「好き、なんじゃ……。旅の間、ずっと……」
言葉がしどろもどろになる。おかしい。こんなはずじゃなかった。何かが、根本的に間違っている。
「それは、あなたの勘違いです。私は一度たりとも、あなたに好意を抱いたことはありません」
「嘘だ! だったら、なんで俺の告白を黙って聞いてたんだ! なんで、今も、こうして手を握らせてるんだ!」
「告白は、あなたの自己満足でしょう。聞く以外の選択肢が、私にありましたか? この手も、あなたが勝手に握っているだけです」
そう言って、彼女は初めて、俺の手を振り払った。
頭が、真っ白になった。勘違い? 自己満足? 今までの俺の想いは、行動は、全部、俺の一人芝居だったとでも言うのか?
「ふざけるな……! 俺は、お前のために……世界を救った英雄だぞ! 国王も、大司祭も、俺たちの結婚を認めてくれたんだ! お前に、拒否する権利なんて……!」
「権利はあります。私の人生は、私のものですから」
冷静な彼女の態度が、俺の怒りに火をつけた。プライドが、自尊心が、ズタズタに引き裂かれていく。許せない。こんな仕打ち、許せるはずがない。
ここまで来て、手に入らないなんて。そんな結末、俺が認めない。
「……そうか。分かったよ。恥ずかしがってるだけなんだな。そうなんだろ?」
俺は、最後の望みをかけて、切り札を切ることにした。勇者として召喚された時に与えられた、もう一つの力。ほとんど使ったことはなかったが、その絶大な効果は知っている。精神干渉系スキル、【魅了】。これを食らって、俺に逆らえた者はいない。
「リリアンヌちゃん。俺の、本当の想い、受け取ってくれ……!」
俺は彼女の瞳をまっすぐに見つめ、スキルを発動させた。俺の瞳が、淡い金色の光を放つ。これで終わりだ。彼女は俺の虜になり、俺の腕の中に飛び込んでくる。そう、なるはずだった。
「……それが、あなたの切り札ですか」
しかし、リリアンヌは、表情一つ変えなかった。それどころか、その紫水晶の瞳には、憐れみのような色さえ浮かんでいた。
効かない? なぜだ? このスキルが、効かないなんて……。
「……ッ、なら!」
理性が、完全に焼き切れた。
思考が、獣じみた欲求に塗りつぶされる。
「それなら、力ずくで!!」
俺は雄叫びを上げ、彼女の華奢な身体に組み付いた。腕力なら、勇者である俺が圧倒的に上だ。押し倒して、既成事実を作ってしまえば、もう彼女は俺のものだ。俺から離れられない!
しかし、俺の腕が彼女の肩に触れた、その瞬間だった。
「――鬱陶しい」
地を這うような、低く冷たい声が聞こえた。それは、今まで一度も聞いたことのない、彼女の声だった。
次の瞬間、信じられないほどの衝撃が俺の体を襲った。
まるで巨大な攻城槌に真正面から殴りつけられたかのような、圧倒的な力。俺の体は紙切れのように宙を舞い、バルコニーの硬い石壁に叩きつけられた。
ゴシャッ、と背後で壁が砕け散る音がした。全身の骨が軋み、肺から空気がすべて絞り出される。視界が急速に暗転していく。
薄れゆく意識の中、俺は見た。
月明かりの下、砕けた壁の破片を浴びながら、静かに佇むリリアンヌの姿を。
そして、その顔に浮かんでいた、初めて見る表情を。
俺という汚物を見るかのような、絶対零度の侮蔑と、冷酷なまでの――微笑みを。
それが、俺が最後に見た光景だった。