猛アタックをガン無視する聖女様、魔王討伐後に俺をぶっ飛ばして故郷の男の元へ帰りました

第5話 サイドストーリー:戦士と魔法使いは静かに囁く

旅が始まって、まだ数日の頃だったと思う。
陽も落ちきり、パチパチと心細い音を立てて燃える焚き火が、俺たち四人の顔をぼんやりと照らし出していた。勇者テルは、今日も今日とて絶好調だった。その有り余る元気の矛先は、もっぱら聖女リリアンヌ様、ただ一人に向けられている。

「リリアンヌちゃんって、故郷はどのへんなの? 魔王を倒したら、俺、挨拶に行かないとだからさ! な、未来の旦那として!」
「……辺境の、小さな村です」
「へえ、そうなんだ! どんな村? きっと、リリアンヌちゃんみたいに綺麗な花がたくさん咲いてるんだろうなあ!」
「……花は、普通に咲いています」
「だよね! あー、早く行きたいな、君の故郷! ご両親にも俺たちの仲を認めてもらわないと!」

……俺たちの仲、ねえ。
俺、ゼニス・グレイウォールは、熱心に薪をくべるふりをしながら、誰にも気づかれぬよう深いため息をついた。隣では、膝の上で分厚い魔導書を開いていたはずのセレスティナ・メーザーが、いつの間にか本を閉じ、その光景を実に面白そうに眺めている。彼女の知的な貌に浮かんだ愉悦の色を見て、俺は思わず眉をひそめた。

「なあ、セレスティナ」

俺は、勇者と聖女様に聞こえないよう、声を潜めて話しかけた。

「あれ、どう思う?」
「あら、何がです? ゼニスさん」

セレスティナは、心底楽しそうな、猫のような声で問い返してくる。この女は、こういう他人の厄介事を肴に酒が飲める、実にたちの悪い性格をしていることを俺は旅の初日で既に見抜いていた。

「決まってるだろう、勇者殿のことだ。聖女様相手に、初日からあの調子だが……。少しは空気を読むということを知らんのか。見ているこっちが恥ずかしくなる」
「まあ、微笑ましいじゃないですか。若さ、というやつですね。情熱的でよろしいのでは?」
「どこがだ。お前の目は節穴か? 聖女様のあの完璧な微笑み、見たことないのか。あれは神殿で来賓や高位の貴族を相手にする時に見せる、完璧な業務用のスマイルだ。感情の温度が、完全にゼロだぞ」

俺は騎士団に所属していた頃、公務で何度か神殿を訪れたことがある。その時に見た聖女リリアンヌの姿と、今の彼女の姿は寸分違わない。誰に対しても丁重で、誰に対しても心を開かない。神々しいまでの美貌と、その内側をうかがい知ることのできない鉄壁の精神。それが、俺の彼女に対する評価だった。あの壁を、勇者殿の軽薄な槍で突き崩せるとは到底思えない。

「ふふ、だからこそ面白いんじゃないですか。あの勇者様、どうやら本気で『照れ隠し』だと思っているようですし。ここまで自己肯定感が高いと、いっそ清々しいですね。私の観察対象としては、まさに一級品です」

セレスティナはくすくすと喉を鳴らして笑いをこらえる。やはり、本当に性格が悪い。

「……先が思いやられるな。魔王を倒す前に、パーティが内側から崩壊しかねん」
「そう悲観なさらずに。おかげで、退屈なだけの野営も少しは楽しくなりそうじゃないですか。特等席で、壮大な勘違い恋愛劇を鑑賞できるのですから」

その言葉通り、俺たちの旅は、勇者の空回り続ける猛アタックと、聖女様の完璧すぎるスルー能力によって、奇妙な活気に満ちていた。それは、魔王討伐という重苦しい使命を、ある意味で紛らわせてくれる清涼剤のようでもあったし、いつ爆発するか分からない爆弾を抱えているようなものでもあった。

***

旅も中盤に差し掛かった頃、俺たちはとある大きな街に立ち寄っていた。
久しぶりのベッド、温かい食事、そして活気のある市場。誰もが旅の疲れを癒し、羽を伸ばしていたが、勇者殿だけは目的が違ったようだ。

「なあなあ、ゼニス! セレスティナ! ちょっと付き合ってくれよ!」

宿で一息つくやいなや、テルは目を輝かせながら俺たちを街の装飾品店に引っ張っていった。ショーウィンドウに並ぶきらびやかな品々を前に、彼は子供のようにはしゃいでいる。

「リリアンヌちゃんに、何かプレゼントしたいんだ! どれがいいと思う? やっぱり、彼女の瞳の色に合わせた紫の宝石かな? いや、純白の彼女には真珠も似合うよな……」

彼の目は本気だった。なけなしの金貨を握りしめ、ああでもないこうでもないと真剣に悩んでいる。俺は呆れるのを通り越して、少しだけ感心すらしていた。

「……勇者殿。お気持ちは分かりますが、聖女様はあまり華美なものを好まれない方だとお見受けします。神官服以外のものを身につけているのを見たことがありません」
「分かってないなあ、ゼニスは! 女の子っていうのは、みんなこういうキラキラしたものが好きなんだよ! 普段つけないのは、きっと自分で買うのが恥ずかしいだけなんだって! 俺がプレゼントすれば、きっと喜んでくれるはずだ!」
「……はあ、そうですか」

もはや、何を言っても無駄だ。俺は早々に説得を諦め、腕を組んで壁に寄りかかった。
セレスティナはといえば、「こちらのイヤリングなど、お顔立ちに映えるのでは?」「いえ、こちらのネックレスの方が、胸元のアクセントになって素敵かもしれませんわ」などと、面白半分に彼を煽っている。頼むからやめてくれ。

結局、テルは月の光をそのまま固めたような美しい宝石――ムーンストーンのネックレスを、なけなしの金貨をほとんどはたいて購入した。そして、その夜の宿で、夕食を終えたリリアンヌ様に、意気揚々とそれを手渡したのだ。

「リリアンヌちゃん! いつも助けてもらってるお礼だ! これ、受け取ってくれ!」

食堂にいた全員の視線が、一斉に彼らに集まる。
リリアンヌ様は、差し出されたベルベットの小箱を前に、一瞬だけ、本当にほんの一瞬だけ、困惑したように眉をひそめた。だが、すぐにいつもの完璧な微笑みを浮かべる。

「……まあ、綺麗な……。ですが、勇者様。このような高価なもの、私には受け取ることができません」
「いいからいいから! 俺からの気持ちだからさ! な?」
「……では、このお気持ちだけ、ありがたく頂戴いたします。品物はお返しします。どうか、ご自身の武具の整備にお使いください」
「そんなこと言わずに! これ、リリアンヌちゃんに絶対似合うと思って、俺が選んだんだ!」

痛々しいほどの押し問答の末、リリアンヌ様は深いため息を押し殺すように一つ頷くと、「……分かりました。では、この旅が終わるまで、私が責任を持って、大切にお預かりさせていただきます」と言って、ネックレスを恭しく受け取った。そして、すぐに自分の荷物鞄の、一番奥深くへとしまい込んだ。
その一部始終を、俺とセレスティナは宿の食堂のカウンター席で、エールを飲みながら眺めていた。

「ゼニスさん、一つ賭けませんこと? あのネックレス、聖女様がこの旅の間に一度でも身につけるか否か。私は『身につけない』に金貨五枚」
「賭けにならん。どうせ『皆さんからのご厚意は心にしまっておきます』とか言って、丁重にお蔵入りになるのが目に見えている。今のはその丁寧語バージョンだな。俺も『身につけない』に全財産だ」
「ちぇっ、つまらない方。でも、そうでしょうね。しかし、勇者様もよく心が折れないものです。私なら、三日で泣いて実家に帰りますよ、あの完璧な塩対応と絶対防御の前に」
「あれはもはや、一種の才能だろうな。常人にはない、強靭な鈍感力、というやつか。ある意味、尊敬に値する」

俺はエールを一気に呷った。喉を通り過ぎる苦い味が、やけに身に染みる。
ふと、素朴な疑問が頭をよぎった。

「……それにしても、聖女様もどうしてああも頑ななんだろうか。勇者殿は、まあ、ああいう軽薄なところはあるが、根は悪い人間じゃない。顔立ちも悪くないし、何より世界を救う勇者という、これ以上ない肩書もある。少しくらいは靡いても良さそうなものだが」

俺の純粋な疑問に、セレスティナはカウンターに肘をつき、エールの泡を指でなぞりながら、意味深な笑みを浮かべた。

「……さあ。もしかしたら、何か、とても大切なものでも、どこかに置いてきてしまったのかもしれませんね」
「大切なもの?」
「ええ。例えば、心とか、魂とか、そういう類いのものを、故郷にね。守るべきものが他にはっきりとある人間は、ああいう顔をすることがあります。他のものが、一切目に入らなくなるという、そういう顔を」

セレスティナはそう言うと、「ま、私のただの想像ですけれど」と悪戯っぽく付け加えて、グラスを傾けた。
俺は、荷物の奥にネックレスをしまった時のリリアンヌ様の、一切の感情を映さない完璧な横顔を思い出した。そして、セレスティナの言葉が、妙に真実味を帯びて聞こえるのを感じていた。彼女は、俺たちとは全く違う場所を見つめ、全く違う目的のために、この旅に同行しているのかもしれない。

***

そして、ついに俺たちは魔王城を目前にしていた。
明日には、この長く、過酷だった旅も終わる。最後の野営地は、魔王城から吹き付ける不吉な風のせいで、ひどく冷え込んでいた。
勇者テルは、いつにも増して気合が入っていた。決戦前夜だというのに、彼の頭の中は相変わらずリリアンヌ様のことしかないらしい。

「リリアンヌちゃん!」

彼は覚悟を決めた顔でリリアンヌ様の前に立つと、おもむろにその両手を取った。リリアンヌ様は、もはや驚きもせず、ただ静かに彼を見上げている。その姿は、まるで嵐の前の静けさそのものだった。

「俺、明日の戦いで必ず魔王を倒す! そして、生きて帰ってくる! 帰ったら、君と結婚するんだ! これはもう決定事項だからな! 俺の覚悟、受け取ってくれ!」

熱い。あまりにも熱すぎる、一方的な決定宣言だ。
リリアンヌ様は、しばらく黙ってテルを見つめていたが、やがてゆっくりと、本当にゆっくりと頷いた。

「……勇者様の、ご武運を、心よりお祈りしております」

それだけだった。結婚のけの字にも触れていない。だが、テルにとってはそれで十分だったらしい。「よっしゃあ! 見てろよ魔王!」と天を仰いでガッツポーズをしている。もはや、付ける薬はない。
その感動的な(彼の中では)シーンを、俺とセレスティナは少し離れた場所で、最後の装備点検をしながら眺めていた。

「いよいよですね、ゼニスさん。あの壮大な一人芝居の勘違いラブコメディも、これで見納めになるのでしょうか」

セレスティナが、楽しかった日々を惜しむかのように、大げさに溜息をつく。

「だといいがな。俺は、魔王を倒した後が、一番面倒なことになりそうな気がしてならない」
「ああ、勇者様、本気で王様や大司祭様にも手紙を送り続けてましたからね。『外堀は完全に埋まった』なんて、自信満々に言ってましたけど」
「……なあ、セレスティナ。お前は魔術師として、魔力の流れや人間の本質が多少は見えるんだろう。あの聖女様が、外堀ごときでどうにかなるタマに見えるか?」

俺の問いに、セレスティナはくつくつと喉の奥で笑った。その目は、明日対峙する魔王ではなく、もっと身近にある厄災を予見しているようだった。

「まさか。外堀どころか、その堀を埋めに来た重機も、設計図を描いた役人も、その背後で糸を引いていた権力者も、まとめて更地に変えてしまいそうな、底なしの何かを感じますわ」
「……同感だ」

俺たちは顔を見合わせ、揃って乾いた笑いを浮かべた。
明日の決戦よりも、その後に待っているであろう、勇者様の盛大な玉砕の方が、よっぽど恐ろしい。
そんな不吉な予感が、魔王城から吹く風以上に、俺の背筋をゾッとさせたのだった。俺たちにできることは、ただ一つ。その時が来たら、できるだけ遠くに避難しておくことだけだろう。