「あなたじゃもう満足できない」と捨てられた僕が、すべてを失った君に「もう何でもない人だ」と告げるまで

第1話

その頃の僕にとって、世界は美咲を中心に回っていた。朝、僕の家の前に立つ彼女の姿を見つけるたびに、胸の奥で温かい光が灯るのを感じた。美咲は、太陽そのもののような少女だった。長い髪を揺らしながら笑顔を振りまけば、周囲の空気が一瞬で華やぐ。彼女の周りにはいつも人が集まり、その中心で無邪気に笑う姿は、まばゆいほどに輝いていた。

僕はというと、美咲とは対照的に、目立つことが苦手で、どちらかといえば影の薄い存在だった。それでも、美咲の隣にいることは、僕にとって何よりも確かな幸福だった。僕たちは幼馴染で、物心ついた頃にはもうお互いが日常の一部になっていた。小学校の通学路、中学校の図書室、そして、この高校の教室。どこへ行くにも、彼女の隣にはいつも僕がいた。

「悠真、今日の数学の宿題、見せてくれる?」

美咲は、僕の顔を覗き込むようにして尋ねる。その大きな瞳が、僕の視線をまっすぐに捉える。少しだけ悪戯っぽい表情で、でも、どこか甘えたような声。僕は少し照れながらも、自分のノートを差し出した。美咲は僕の数学の成績が良いことを知っていて、いつも頼りにしてくれていた。それが、僕のささやかな誇りだった。

「ほら、ここ、こうやるんだよ」

僕がシャーペンで説明すると、美咲は「なるほど!」と声を上げて、ぱっと顔を輝かせた。その笑顔を見るたびに、僕は何度でもこの感情を確かめる。ああ、僕は、この笑顔を守りたい。この笑顔の隣に、ずっといたい。

僕たちは、周囲から「お似合いのカップル」と見られていた。それは僕にとっても、美咲にとっても、当たり前の事実だった。特別な告白の言葉があったわけではない。気づけば、自然と手をつなぎ、自然と寄り添い、自然と将来の話をするようになっていた。

「ねえ、悠真。卒業したら、同じ大学に行こうね」

放課後の誰もいない教室で、美咲は窓から差し込む夕日を浴びながら、僕にそう言った。その横顔は、まるで絵画のように美しかった。

「うん、もちろんだよ。美咲と一緒なら、どこでも楽しい」

僕はそう答えたけれど、心の中では、漠然とした不安も抱えていた。美咲は、僕の知らない世界を知りたがっているように見えた。もっと広くて、もっと刺激的な世界。今の美咲は、僕の隣にいることを心から喜んでくれている。それは疑いようのない事実だった。だけど、この小さな世界が、いつか彼女にとって物足りなくなる日が来るのではないか。そんな予感が、僕の心の片隅に、ずっと張り付いていた。

その不安は、ほんの小さな影だった。美咲の笑顔が、その影をかき消してくれると信じていた。僕たちは、お互いの未来を誓い合った。何があっても、この絆は切れない。そう、信じていたんだ。

夏が終わり、秋風が吹き始める頃、学校に一人の転校生がやってきた。生徒会長の蓮。彼は、美咲とはまた違う種類の輝きを持っていた。スマートで、頭が良くて、誰に対しても分け隔てなく接するカリスマ性。彼は、あっという間に学園の中心人物になっていった。

美咲もまた、蓮の魅力に惹かれているように見えた。それは、最初は何気ない好奇心だったのかもしれない。蓮の周りには、いつも新しい情報や、華やかな噂が飛び交っていた。美咲は、そういったものに敏感だったから。彼女の笑顔は、僕の隣にいる時と同じくらい、いや、それ以上にまばゆく輝いているように見えた。

「蓮くんって、本当にすごいよね。あんなに頭も良くて、部活もできて、なのに全然偉ぶらないんだもん」

美咲がそう言うたびに、僕の胸には、小さな棘が刺さるような痛みが走った。僕は、彼女の隣で黙って頷くことしかできなかった。美咲の瞳が、僕の知らない世界を見つめている。そんな予感が、徐々に現実味を帯びていくのを感じていた。

そして、その予感は、確信へと変わっていく。美咲が、僕の隣から少しずつ離れていく。その距離は、物理的なものよりも、心の距離だった。僕の問いかけに、彼女の返事が曖昧になる。僕の視線から、彼女の視線が逸れる。僕が差し出した手に、彼女の手が触れなくなる。

僕は、その変化に気づかないふりをした。目を逸らした。認めたくなかった。だって、美咲は僕の世界そのものだったから。彼女がいなくなったら、僕の世界は、色を失ってしまう。

ある日の放課後、僕は美咲を待っていた。いつものように、昇降口で。でも、美咲はなかなか現れなかった。心配になって、僕は校舎の中を探しに行った。そして、体育館の裏で、僕は、二人の影を見た。夕日に照らされたその影は、寄り添い、まるで一枚の絵のようだった。

「美咲……?」

僕は、思わず声を漏らした。影が揺れ、二つの人影がこちらを向く。そこに立っていたのは、蓮と、そして、美咲だった。美咲の顔は、驚きと、そして、少しの焦りを浮かべていた。蓮は、僕を見て、にやりと笑った。それは、僕の心を深く抉るような、冷たい笑みだった。

美咲の表情が、その時、僕にとって初めて見るものになった。今まで見たことのない、冷たい、無関心な顔。

「悠真、どうしてここにいるの?」

その声は、まるで他人事のように響いた。僕の心臓が、ひゅっと縮み上がる。

「美咲……蓮と、どういう関係なんだ?」

僕の声は震えていた。必死で、言葉を紡ぎ出す。美咲は一瞬、戸惑ったような顔を見せたが、すぐにその表情は消え、無表情になった。

「あなたじゃ、もう満足できないの」

吐き捨てるように、美咲はそう言った。僕の胸に、鋭いナイフが突き刺さるような衝撃が走った。満足できない。その言葉が、僕の耳の奥で、何度も、何度も、反響する。僕は、美咲の言葉の意味を理解するのに、しばらく時間がかかった。理解した途端、僕の視界は、真っ白になった。

美咲の言葉は、僕の存在そのものを否定するようだった。僕が彼女の隣にいることを、僕が彼女を愛していることを、すべてを無意味なものにする言葉。

「蓮は、私に、もっと違う世界を見せてくれる。あなたが知らない、華やかな世界を」

美咲は、蓮の腕にすがるように身を寄せた。蓮は、まるで勝ち誇ったかのように、美咲の肩を抱き寄せた。その光景は、僕の目に焼き付いて離れなかった。

僕は、その場に立ち尽くすことしかできなかった。心臓が、まるで音を立てて砕け散るかのように、激しく脈打つ。呼吸が苦しい。僕の世界が、音を立てて崩れていく。

僕には、誰にも相談できる親友がいなかった。美咲が、僕にとって唯一の親友でもあり、恋人でもあったから。唯一の支えを失った僕は、深い絶望の淵に突き落とされた。

翌日から、僕は学校に行くのが苦痛になった。教室の空気、クラスメイトの視線、すべてが僕を責めているように感じた。美咲と蓮は、隠すこともなく親密な関係を続けていた。僕の隣で、当たり前のように笑っていた美咲は、もういない。彼女は、蓮の隣で、以前よりもずっと輝いているように見えた。

僕は、何も手につかなくなった。授業に集中できない。食欲もわかない。夜は、寝ても覚めても美咲の冷たい言葉が耳に残り、悪夢にうなされた。学校では孤立し、誰とも目を合わせることができなくなった。僕の日常は、絶望という名の闇に覆われていった。僕は、ただ、美咲がいた頃の、あの光を取り戻したかった。しかし、それはもう、叶わない夢なのだと、頭では理解していた。けれど、心が、どうしてもそれを拒絶した。