第4話
美咲が人気者としての地位を失い、友人たちからも距離を置かれ孤立していく姿は、誰の目にも明らかだった。教室の隅で一人、昼食をとる彼女の姿は、以前の輝きを知っている者にとっては、あまりにも痛々しかった。蓮に捨てられたという事実が、彼女の周りの空気を完全に変えてしまったのだ。
かつて、美咲は僕の隣にいることを「物足りない」「つまらない」と言い放った。けれど、華やかな世界に足を踏み入れた結果、彼女は裏切り者として扱われ、嘲笑の対象となった。その現実に、美咲は耐えきれないようだった。彼女の顔には、いつも絶望と後悔の色が浮かんでいた。
僕は、美咲を遠巻きに見つめていた。彼女がどんなに苦しんでいようと、僕の心はもう動かない。かつて彼女が僕に与えた痛みと絶望が、僕の心を完全に覆い尽くしていたからだ。
ある日の放課後、僕は図書室で静かに参考書を読んでいた。来たる全国模試に向けて、少しでも点数を上げたい。今の僕には、学業だけが、唯一集中できることだった。すると、僕の座っている席の前に、影が差した。顔を上げると、そこに立っていたのは、美咲だった。
彼女は、以前のような華やかな化粧もせず、髪もきちんと手入れされているとは言えなかった。顔色は青白く、目の下にはうっすらとクマができていた。その姿は、僕が知っている美咲とは、かけ離れていた。
「悠真……」
美咲の声は、か細く、震えていた。僕の心臓は、何の反応も示さない。
「どうしたの?」
僕は、感情のこもらない声で、尋ねた。心の中で、どうか、どうか、僕に話しかけてこないでくれと願った。けれど、僕の願いは届かない。
美咲は、ゆっくりと僕の前の椅子に座った。その動作には、かつての自信や軽やかさは微塵もなかった。
「あのね、悠真に、話したいことがあるの」
美咲は、視線を床に落としたまま、そう呟いた。僕は、黙って彼女の言葉を待った。
「私、間違ってた。あの時、蓮くんのことばかり見てて……悠真のこと、全然見てなかった」
美咲の声が、震えながら、懺悔のように響いた。僕の心の中で、冷たい風が吹き抜けた。今更、そんなことを言われても、何も感じない。
「蓮くんは、私を、特別扱いなんかしてなかったんだね。ただの、遊び相手だった。それに、気づかなかった私が、バカだった」
美咲の目から、涙が溢れ落ちた。ポタポタと、図書室の机に染みを作っていく。彼女の涙は、僕の心に、何の波紋も広げなかった。
「私ね、あの頃の悠真の優しさが、どれだけ大切だったか、今になって、やっと気づいたの。悠真は、いつも私のことを一番に考えてくれてた。私のわがままも、全部受け入れてくれてた。私を、心から大切にしてくれてたのは、悠真だけだったのに……」
美咲は、嗚咽を漏らしながら、必死に言葉を紡ぎ続けた。その姿は、かつての彼女とは、あまりにもかけ離れていた。僕を傷つけた美咲は、もう、そこにはいなかった。けれど、だからといって、僕の心が癒えるわけではない。
「お願い、悠真。もう一度、私を見てくれないかな? もう一度、やり直したいの。私、もう一度、悠真の隣で、あの頃みたいに笑いたい」
美咲は、泣きながら僕の顔を見上げた。その瞳には、かつての輝きはなかった。ただ、後悔と、縋るような懇願の色が宿っていた。
僕は、美咲の目を見つめた。かつて、その瞳が僕の世界のすべてだった。彼女の笑顔一つで、僕の心は満たされた。彼女の言葉一つで、僕の感情は揺れ動いた。けれど、もう違う。僕の心は、彼女を認識しているが、そこに何一つとして、感情は湧かなかった。
僕は、ゆっくりと、息を吸い込んだ。
「美咲」
僕の声は、自分で思うよりもずっと静かで、そして、冷たかった。
「僕は、君に、もう何も感じない」
美咲の顔から、一瞬にして血の気が引いた。彼女の瞳が、大きく見開かれる。
「悲しいとか、怒りとか、憎しみとか、そういう感情も、もう、どこにもないんだ」
僕は、言葉を続ける。
「あの時、君が僕に『満足できない』と言い放った時、僕の世界は一度、完全に壊れた。僕は、その壊れた世界の中で、必死に自分を立て直した。そして、その過程で、君へのすべての感情を、心の奥底に封じ込めたんだ」
美咲の唇が震える。彼女は、僕の言葉の意味を、理解しているようだった。
「だから、君が今、どんなに後悔して、どんなに僕に許しを請うても、僕の心は、もう動かない」
僕は、美咲の目から視線を逸らさずに、静かに告げた。
「君は、もう僕にとって何でもない人だ」
その言葉は、美咲の心に、深く突き刺さったようだった。彼女の瞳から、最後の希望の光が消え去るのが見えた。美咲は、声にならない嗚咽を漏らし、その場に崩れ落ちた。
僕は、美咲の嗚咽を聞きながら、立ち上がった。そして、何も言わずに、図書室を後にした。僕の心は、静かで、そして、何にも揺らがない。かつて美咲という存在が占めていた僕の世界には、今、広大な虚無が広がっていた。
美咲は、その後も高校生活を孤独に過ごした。彼女の周りには、二度と華やかな人だかりができることはなかった。かつて僕が与えていた温かい愛情と、彼女が手放した輝かしい未来は、もう二度と彼女の元には戻らなかった。美咲は、自身の過ちの大きさと、悠真を取り戻せない絶望に打ちひしがれ、残りの高校生活を、冷たい後悔の中で過ごすことになるのだった。