三度裏切られた僕の透明な復讐。僕はただ、君たちに”無関心”なだけだ。

第1話 透明な少年

神崎悠斗は、高校二年生の春を迎えていた。新学期特有の浮ついた空気は、彼の周囲ではまるで存在しないかのように淀んでいる。クラスメイトたちは新しい友人との出会いや、部活動での活躍に胸を躍らせているのだろうが、悠斗には関係のない話だった。彼の席は窓際の一番後ろ、誰も彼に話しかけようとしないし、彼もまた誰かに話しかける気など毛頭なかった。

「神崎君、プリント回して」

機械的な声が聞こえた。前方の女子生徒が、視線を合わせることなくプリントの束を差し出している。悠斗は無言でそれを受け取り、無表情のまま後方の生徒に手渡した。彼女はすぐに顔をそむけ、友人たちと楽しそうに話し始めた。悠斗は、その様子を横目で捉えながら、また一つ、自分の存在が透明になっていくのを感じた。

かつて、彼はそうではなかった。小学六年生の頃までは、むしろクラスの中心にいるような、明るく活発な少年だった。休み時間には校庭を駆け回り、放課後には友達と秘密基地を作って遊んだ。そんな彼に、初めての「恋」が訪れたのは、小学校最後の運動会の準備期間のことだった。

相手は、隣のクラスの吉川美咲。愛らしい笑顔と、誰にでも優しい性格で、クラスの男子からも人気があった。悠斗は、勇気を振り絞って美咲に告白し、奇跡的に彼女はそれを受け入れてくれた。初めて手をつないだ時の、あの胸の高鳴り。放課後、二人でこっそり寄り道をして、アイスを食べたこと。全てが、まるで夢のような時間だった。

しかし、その夢は唐突に終わる。運動会当日、悠斗は美咲が、同じクラスのサッカー部のエース、佐々木健太と親密に話しているのを目撃した。最初は、ただ話しているだけだと思った。だが、競技の合間、誰も見ていない場所で、佐々木が美咲の肩を抱き寄せ、美咲がそれを拒まないどころか、微笑んでいるのを見てしまった。

その日の夜、悠斗は美咲に電話をかけた。美咲は曖昧な返事を繰り返し、悠斗が問い詰めるたびに言葉を濁した。そして、翌日。

「ごめんね、悠斗君。私、佐々木君の方が好きになっちゃった」

電話口で、美咲はそう言った。まるで他人事のように、淡々と。悠斗は、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。初恋は、わずか一ヶ月で幕を閉じた。それだけではない。美咲と佐々木は、悠斗が美咲にしつこくつきまとっていた、などという根も葉もない噂を学校中に広めた。その日から、悠斗はクラスで孤立し始めた。

「佐々木、なんか神崎が美咲に振られて逆上してるらしいぜ」

「うわ、陰湿だな」

そんな会話が、悠斗の耳にも届く。彼らが意図的に聞かせているのは明白だった。悠斗は反論する気力も、術もなかった。ただ、じっと耐えるしかなかった。小学校卒業時には、彼の明るさは完全に消え失せていた。

中学校に進学し、悠斗は生まれ変わろうと決意した。誰も自分の過去を知らない場所で、もう一度、新しい自分を築き直そうと。彼は再び、積極的にクラスメイトと交流し、友人を作った。そして、中学二年の時、彼は二度目の恋に落ちた。

相手は、吹奏楽部の部長を務めていた、一つ年上の先輩、田中里奈。クールな外見とは裏腹に、時折見せる優しさに惹かれた。悠斗は、彼女の演奏するクラリネットの音色に魅了され、毎日、放課後には音楽室の近くで、彼女の練習が終わるのを待った。告白は、里奈の卒業が間近に迫ったある日の放課後だった。意外にも里奈は悠斗の告白を受け入れてくれた。

里奈との交際は、悠斗にとって心の拠り所だった。彼女は悠斗の過去を知る由もなく、ただ目の前の彼を真っ直ぐに見てくれた。里奈の存在が、悠斗が失いかけていた人間への信頼を少しずつ取り戻させてくれた。しかし、その信頼もまた、脆くも崩れ去ることになる。

里奈が卒業して数ヶ月後、悠斗は偶然、彼女と再会した。しかし、里奈は一人ではなかった。隣には、悠斗も見知った顔があった。里奈が所属していた吹奏楽部の、一つ上の学年のOB、つまり、里奈の元同級生である先輩、藤田悠介。藤田は、里奈と親密に腕を組み、悠斗の姿に気づくと、ニヤリと嘲笑するような顔で里奈の腰に手を回した。

「あれ、神崎じゃん。まだ里奈に未練あんの?」

藤田の言葉に、里奈は何も言わず、ただ藤田の腕に身を寄せた。悠斗は、その光景に再び頭を殴られたような衝撃を受けた。美咲の時とは違う、もっと深い、心の奥底をえぐられるような痛みだった。里奈は、悠斗と付き合いながら、藤田とも関係を持っていたのだ。そして、藤田もまた、悠斗を貶めるような噂を中学中に広めた。悠斗は、完全に人間不信に陥った。

高校に進学した悠斗は、誰とも深く関わらないと決めた。目立たず、波風を立てず、ただひっそりと高校生活を終えることだけを考えていた。だが、皮肉なことに、彼は高校でも「あの」人物と出会ってしまう。

彼女の名前は、西村葵。クラスのマドンナ的存在で、男子からの人気が集中していた。悠斗は、葵とは全く関わりを持たないようにしていた。彼女とは住む世界が違う。そう思っていた。だが、ある日、葵が悠斗に話しかけてきたのだ。

「あの、神崎君だよね? 私、西村葵。ちょっと話があるんだけど…」

葵は、悠斗の隣の席に座り、ひどく困ったような顔で彼を見つめた。悠斗は、警戒心を抱きながらも、ただ沈黙を貫いた。葵は、ゆっくりと話し始めた。

「私、今、付き合ってる人がいるんだけど、その人、最近ちょっとおかしいんだ。浮気してるんじゃないかって…」

葵は、涙ぐみながら、悠斗に相談を持ちかけてきた。悠斗は、なぜ自分にそんな話をするのか理解できなかった。だが、葵の真剣な表情に、悠斗はなぜか心を動かされた。彼女の相談に乗るうちに、二人の距離は少しずつ縮まっていった。そして、悠斗は、またしても恋に落ちた。

葵との関係は、これまでとは全く違っていた。彼女は悠斗の全てを受け入れてくれるようだった。悠斗もまた、葵に心を開き、過去の傷を打ち明けた。葵は、彼の話を聞いて、涙を流し、彼を抱きしめてくれた。悠斗は、ようやく本当の幸せを見つけたのだと確信した。

しかし、その幸せも、あっけなく終わりを告げる。それは、悠斗の誕生日だった。葵と二人で、少し贅沢なレストランで食事をする約束をしていた。悠斗は、早く会いたくて、予約時間よりも早く店に到着した。

店に入ると、悠斗は目に飛び込んできた光景に、息をのんだ。葵が、隣のテーブルに座っていた。だが、彼女の隣には、悠斗ではない別の男がいた。クラスの人気者で、葵の親友だと悠斗が聞かされていた、野球部のキャプテン、高橋亮介。二人は楽しそうに笑い合い、高橋は葵の手に触れ、葵はそれを拒むことなく受け入れている。

悠斗は、足がすくみ、その場に立ち尽くした。高橋が、悠斗に気づいた。そして、悠斗を見るなり、ニヤリと口角を上げた。

「おや、神崎じゃないか。まさか、葵に誕生日デートのお誘いでもされてたのか? 悪いな、葵は今、俺と一緒だ」

高橋は、悠斗を嘲笑うかのように、葵の肩を抱き寄せた。葵は、悠斗の顔を見て、一瞬だけ目を伏せたが、すぐに高橋の顔を見上げ、微笑んだ。その瞬間、悠斗の心の中で何かが音を立てて砕け散った。

悠斗は、その場から逃げるように店を後にした。その日以来、悠斗は完全に心を閉ざした。女性不信、人間不信。彼の周囲からは、あらゆる色彩が失われた。彼にとって、世界はモノクロームの、無意味な空間になっていた。

教室の窓から見える青空は、彼にとってただの灰色の光景だった。かつての明るい自分は、どこにもいない。そこにいるのは、ただ息をするだけの「透明な少年」だった。