三度裏切られた僕の透明な復讐。僕はただ、君たちに”無関心”なだけだ。

第2話 無関心という名の壁

神崎悠斗の高校生活は、平穏だった。彼にとっての平穏とは、誰にも干渉されず、誰にも期待されず、誰にも裏切られないこと。それは、まるで透明な膜に覆われたかのような、無味乾燥な日々だった。登校し、授業を受け、下校する。その繰り返し。彼の感情は常に一定で、喜怒哀楽といった人間の基本的な感情は、遠い記憶の彼方に置き去りにされていた。

ある日の放課後、悠斗は図書館で自習をしていた。大学受験に向けて、そろそろ本格的に勉強を始めなければならない時期だった。彼の頭の中には、大学進学後の生活が漠然と描かれていた。誰とも関わらずに済む、静かな場所で、ただひたすらに自分の道を究めたい。そんな思いだけが、彼を突き動かしていた。

その日、図書館には珍しく、いくつかのグループが談笑していた。中でも、女子生徒たちのひそひそ話が、妙に耳についた。

「ねえ、聞いてよ。私、最近、あの藤田先輩と会ったんだけどさあ…」

「藤田先輩? え、里奈先輩の元カレだっけ?」

「そうそう! なんか、久しぶりに会ったら、ちょっと老けたっていうか…」

悠斗は、その「藤田先輩」という名前に、一瞬だけぴくりと反応した。田中里奈。中学時代の、二番目の元恋人。そして、藤田悠介。里奈を寝取った男。あの頃の苦い記憶が、フラッシュバックのように脳裏をよぎる。しかし、悠斗の表情は微動だにしなかった。もはや、彼にとって過去の出来事は、遠い昔の物語であり、そこに感情を揺さぶられることはなかった。

「ていうかさ、里奈先輩もさあ、結局藤田先輩とはすぐ別れたらしいよ?」

「えー、そうなの? なんで?」

「なんか、藤田先輩って、付き合うとすぐに飽きるタイプらしいじゃん? 肉体関係が目的っていうかさ。里奈先輩も、いいように遊ばれてポイ捨てされたって噂」

女子生徒たちの声は、図書館の静寂の中で、妙に響き渡った。悠斗は、ペンを動かす手を止め、耳を傾けるでもなく、ただその会話を認識していた。里奈が藤田に捨てられた。それがどうした、というのか。彼の心には、何の感慨も湧き起こらなかった。復讐心も、ざまあみろという感情も、一切ない。ただ、事実として、その情報を受け止めただけだった。

「なんかさ、里奈先輩、最近元気ないみたいよ。神崎君と別れてから、ずっと後悔してるって、親しい友達には言ってるらしいじゃん?」

「マジで? あんなひどいことしといて?」

「でもさ、神崎君って、今じゃあんなになっちゃったからね…」

女子生徒たちの視線が、一瞬だけ悠斗の方に向けられた。彼らはすぐに目をそらし、またひそひそと話し始めた。悠斗は、その視線にも気づいていた。彼らの同情や憐憫の視線。だが、それも彼にとっては意味のないものだった。彼らは、彼の過去を知らない。彼の痛みを理解できるはずもない。

悠斗は再びペンを動かし始めた。数式を解き、英文を読み込む。彼の意識は、目の前の問題に集中していた。過去の清算など、どうでもよかった。彼は、自分の人生を、自分の力で切り開くことしか考えていなかった。

数日後、悠斗は下校中に、偶然、吉川美咲とすれ違った。美咲は、友人と楽しそうに話しながら、悠斗の横を通り過ぎようとしていた。彼女は、悠斗の存在に気づくと、ハッと息をのんだ。そして、少しだけ、その足が止まったように見えた。

「あ、神崎君…」

美咲は、掠れた声でそう呟いた。しかし、悠斗は彼女の言葉に反応することなく、そのまま通り過ぎようとした。美咲は、慌てて悠斗に近づいてきた。

「あの、神崎君! ちょっと、いいかな?」

悠斗は、立ち止まった。振り返ることなく、ただ背中を向けたまま、美咲の言葉を待った。美咲は、躊躇いがちに話し始めた。

「久しぶりだね。元気にしてた?」

その言葉は、悠斗の耳には届いていなかった。いや、正確には、その言葉に感情が宿っていなかった。彼は、ただ美咲が何かを話している、という事実を認識していただけだった。

「あのね、私、実は…」

美咲の声が、震えているように聞こえた。悠斗は、無関心な視線を宙に彷徨わせた。一体、何を話したいというのか。彼には、美咲と話すことなど何もない。

「私、あの時、本当にひどいことしちゃったって、ずっと後悔してるの。佐々木君とは、すぐ別れたし…」

美咲の言葉は、まるでどこかのドラマのセリフのように、悠斗の心には響かなかった。後悔? それがどうしたというのか。彼が過去に傷つけられた事実は、美咲の後悔によって消えるわけではない。

「もし、もしよかったら、もう一度…」

美咲の言葉の続きを聞く前に、悠斗は再び歩き出した。美咲の横を、まるでそこに誰もいないかのように通り過ぎた。美咲は、その場で立ち尽くし、悠斗の背中を茫然と見つめていた。彼女の顔には、絶望と、そして諦めの色が浮かんでいた。

悠斗は、後ろを振り返ることなく、まっすぐに前を見据えて歩いた。彼の心には、何のざわめきもなかった。美咲の言葉も、彼女の表情も、彼にとってはただの景色の一部に過ぎなかった。彼は、彼女たちとの関係を、完全に過去の清算として捉え、もう興味の対象ですらなかった。彼の世界は、彼自身の内側に閉ざされており、そこに他者の入り込む余地はなかった。

翌日、悠斗はいつものように学校へと向かった。校門をくぐると、彼の目に、ある光景が飛び込んできた。西村葵が、一人で桜の木の下に立っていた。彼女の顔は、どこか憔悴しているように見えた。そして、彼女の隣には、かつて彼女と親密だったはずの高橋亮介の姿はなかった。

悠斗は、葵を視界に入れたまま、そのまま通り過ぎようとした。彼は、葵とも関わりを持つつもりはなかった。彼女との過去もまた、彼にとっては終わった物語だった。しかし、葵は悠斗の存在に気づくと、ハッと顔を上げた。

「神崎君…!」

葵の声は、弱々しく、しかし確かに悠斗を呼んでいた。悠斗は、立ち止まらなかった。ただ、一歩、また一歩と、学校の校舎へと向かって歩を進めた。葵は、悠斗の背中を追うように、ゆっくりと歩き出した。