サレ夫の俺が仕掛けた、甘くも残酷な復讐劇

第6話 (美咲視点)第一話:満たされない隙間

私の名前は、田中美咲。あの頃の私は、誰もが羨むような幸せの中にいたはずだった。夫の健太は大手企業に勤め、優しい。結婚して三年。何一つ不自由のない生活。友人の誰に話しても、「美咲は幸せ者ね」と、決まってそう言われた。

でも、本当にそうだったのかしら。

健太は仕事に熱心な人だった。それは良いことだと、頭では理解していた。けれど、彼の仕事が忙しくなるにつれて、私と彼の間に見えない壁が築かれていくのを感じていた。朝は早く、夜は遅い。休日出勤も増え、二人で過ごす時間は、まるで砂時計の砂のように、少しずつ減っていった。

初めての海外旅行、健太と手を取り合って歩いた石畳の道。新婚旅行のアルバムを開けば、そこには確かに幸せな私がいた。あの頃の健太は、私のささいな変化にも気づいてくれた。髪を切れば「似合ってるね」、少し元気がない時は「何かあった?」と。

それが、いつからだろう。

私が新しいワンピースを着ていても、彼は気づかない。体調が悪いと伝えても、「ああ、そうか」と、スマホから目を離さない。彼の目は、いつも会社の資料か、株価の数字を追っていた。私の存在は、彼の視界の片隅にさえ入っていないような気がした。

寂しかった。その言葉を口に出すことさえ、私には許されないような気がした。彼は私のために働いている。私が贅沢な暮らしができるのも、彼が努力しているからだ。そう思うと、私の寂しさなんて、わがままだと思われてしまうんじゃないかと、口を閉ざした。

ある日、デパートのウィンドウで、一目惚れしたバッグがあった。普段、健太に高価なものをねだることはしないけれど、そのバッグは、まるで私に「買って」と語りかけているようだった。健太に話せば、きっと買ってくれる。そう思ったけれど、結局言えなかった。彼が忙しいことを知っていたから。そして、そんなことよりも、彼との時間の方が欲しかったから。でも、その時間が、私には与えられなかった。

そんな日々が続く中で、私は無意識のうちに、健太以外の場所で心の隙間を埋めようとしていたのかもしれない。

きっかけは、本当に些細なことだった。カフェで一人、本を読んでいた時のこと。隣の席に座っていた男性が、私が落としたペンを拾ってくれた。それが、斎藤さんとの出会いだった。

彼は、私の読んでいる本に興味があると言い、話が弾んだ。彼の話は面白く、私の知らない世界を教えてくれた。健太とは違う、新しい刺激。私は、彼との会話に夢中になった。そして、彼が私の話に真剣に耳を傾けてくれることに、心が安らいだ。

「最近、何かあったんですか?元気がないように見えます」

斎藤さんは、私のわずかな表情の変化にも気づいてくれた。健太が気づかなかった、私の心のささやかな揺れ。彼の優しさが、凍りついていた私の心を溶かしていくようだった。

最初は、ただの友人だった。そう、言い訳をしていた。健太に話せない悩みを打ち明けたり、仕事の愚痴を聞いてもらったり。彼はいつも、私の味方になってくれた。そして、彼の存在が、私にとって心の支えになっていった。

ある日、カフェで斎藤さんと話していた時、突然、めまいがして倒れてしまった。意識が朦朧とする中、斎藤さんが慌てて私を支え、病院に連れて行ってくれた。彼の顔には、心からの心配が浮かんでいた。

病院のベッドで目を覚ますと、そこには健太がいた。そして、その横に斎藤さんも。健太は、私の顔を見るなり、「美咲!大丈夫か?」と、心底心配そうな顔で私を見つめた。その時、一瞬、罪悪感が私の胸を締め付けた。

斎藤さんは、健太に事情を説明してくれた。私が倒れたこと、病院に連れてきたこと。そして、私の携帯電話から健太に連絡したこと。

「斎藤さんとは、どちらで知り合ったんだ?」

健太の問いに、斎藤さんは少し言葉を濁した。私もまた、何と答えるべきか迷った。彼との関係を、健太にどう説明すればいいのか。友人だと嘘をつくことに、良心が咎めた。しかし、正直に話す勇気もなかった。

「共通の趣味で…」

斎藤さんがそう答えた時、私はホッとした。同時に、健太の目が、私と斎藤さんの間を鋭く見ているような気がして、胸が締め付けられた。

病院からの帰り道、健太は普段と変わらないように振る舞ったけれど、その言葉の端々から、私への疑念が透けて見えた。私の罪悪感は、さらに深まった。

斎藤さんと会う時間は、少しずつ増えていった。彼といると、私は満たされた気持ちになれた。健太との間で感じていた寂しさや虚しさが、彼によって埋められていくようだった。

携帯電話の通知を見るたびに、胸が高鳴った。彼からのメッセージは、いつも私を気遣う優しい言葉で溢れていた。それは、健太からの「おやすみ」や「おかえり」とは、比べ物にならないくらい、私の心を温かくした。

私は、どこかで気づいていた。この関係が、許されるものではないと。健太を裏切っていると。それでも、私は斎藤さんの優しさに溺れていった。彼の存在が、私の日常に、もう一つの光を与えてくれたから。

でも、その光は、やがて私を深い闇へと引きずり込むことになるとは、その時の私は、まだ知らなかった。