第11話 (美咲の両親視点)崩れていく絆
私の名前は田中吾郎。この「月の湯」を代々守ってきた。娘の美咲は、私と妻にとって、何よりも大切な存在だった。健太さんと結婚すると聞いた時は、本当に嬉しかった。あんなにしっかりした、良い旦那さんを見つけてくれて。これで美咲も幸せになれる、そう信じていた。
美咲と健太さんが結婚してからも、二人は時々、連れ立って帰省してくれた。健太さんはいつも丁寧に挨拶をしてくれて、美咲も楽しそうにしていた。二人の間に、何の心配事もなかったように見えた。いや、そう見えたかったのかもしれない。親なんて、いつだって子どもが幸せであると信じたいものだから。
けれど、美咲が一人で実家に帰ってきた時、胸騒ぎがした。最初は「健太と喧嘩した」と言っていたが、その顔には、いつもと違う影が差していた。何か深い悩みを抱えている、それは明らかだった。私は何度も「何かあったのか」と尋ねたが、美咲はただ「大丈夫」と繰り返すばかり。親として、娘の異変に気づいてやれなかったことが、今となっては悔やまれる。
そして、あの男が現れた。健太さんだ。旅館に泊まりたいと言ってきた時、私は驚きを隠せなかった。彼は美咲を見るなり、冷たい目で睨みつけた。その瞬間に、ただの夫婦喧嘩ではない、もっと根深い何かが起きていると悟った。
その夜、美咲が健太さんに呼び出されたと聞いて、私は胸が締め付けられる思いだった。二人の間に何が起こったのか、正確には知らなかったが、健太さんの表情から、決して良い話ではないことは容易に想像できた。美咲が裏庭から戻ってきた時、彼女は泣き崩れ、全てを失ったかのような顔をしていた。
そして、健太さんの復讐は、私たちの旅館に向けられた。インターネットに流れる悪評、相次ぐ予約キャンセル、辞めていく従業員たち。長年、汗水流して築き上げてきた「月の湯」が、みるみるうちに崩壊していく。私たちは、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「お父さん、ごめんなさい…」
美咲がそう言って頭を下げた時、私は何も言葉が出なかった。怒りよりも、ただただ悲しかった。娘がこんなにも苦しんでいる姿を見るのは、親として耐え難い。私たちの人生の全てだった旅館が、娘の過ちによって壊されていく。美咲が、何よりも大切にしていたものまでをも失ってしまうなんて。
結局、旅館は閉鎖に追い込まれ、売却することになった。美咲は、私たちの前から姿を消した。どこに行ったのかも知らない。娘を信じ、娘の幸せを願うことしかできなかった私が、どれほど無力だったか。今でも、あの時の美咲の絶望に満ちた顔が、脳裏から離れない。
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私の名前は田中和子。旅館の女将として、長年、夫と共に「月の湯」を切り盛りしてきた。美咲は、私たちの自慢の娘だった。健太さんと結婚した時は、本当にこれで安心だと思った。優しくて、真面目な健太さんは、美咲を幸せにしてくれると信じていた。
美咲が実家に一人で帰ってきた時、私は何かを察した。彼女はいつも明るい娘だったけれど、その時の美咲は、まるで心を閉ざしているようだった。食欲もなく、眠れない夜が続いているようだった。夫に「何かあったの?」と聞いても、「大丈夫」としか答えない。母親として、娘の苦しみに寄り添ってあげられないことが、もどかしかった。
斎藤という男性の名前を美咲の口から聞いたことはなかった。だから、健太さんが病院から美咲を連れて帰ってきた時に、その男性が一緒にいたと聞いた時、胸に嫌な予感が走った。健太さんの、あの冷たい視線。美咲と健太さんの間に、何か深い溝があることを感じた。
そして、旅館に健太さんが現れた。私と夫は、美咲から何が起こっているのか、詳しい話を聞けていなかった。だから、健太さんの冷たい視線と、美咲の怯えた様子に、ただただ戸惑うばかりだった。
その後、旅館に次々と寄せられる悪評。インターネットでの酷評。予約のキャンセルが相次ぎ、従業員も辞めていく。私たちの手塩にかけてきた旅館が、まるで嵐に襲われたかのように、あっという間に荒廃していく。何が起こっているのか、私には理解できなかった。なぜ、こんなことに。
「お母さん、ごめんなさい…」
美咲が、涙ながらにそう言って頭を下げた時、私は悟った。この全ては、美咲のせいで起きていたのだと。娘が、何かとんでもない過ちを犯したのだと。私は、美咲を抱きしめることしかできなかった。美咲の背中から伝わる震えは、彼女がどれほど苦しんでいるかを物語っていた。
私たちが守り続けてきたこの旅館は、美咲にとっても、心の拠り所だったはずだ。それが、娘自身の行いによって、壊されていく。その現実は、あまりにも残酷だった。美咲の顔から、生気が失われていくのを見て、私はただただ胸が張り裂けそうだった。
結局、旅館は閉鎖された。美咲は、私たちに何も言わず、どこかへ行ってしまった。娘の身を案じ、心配する日々が続く。あの美咲が、こんなにも絶望の淵に突き落とされるなんて。親として、娘の幸せを願うことしかできなかった私が、ただただ、この悲劇の連鎖を止めることができなかったことに、深く後悔するばかりだ。